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教会での結婚式 Abikoの視たニッポン

今日のテーマは 教会での結婚式

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日本でキリスト教徒以外の方が、教会といえばすぐに思い出すのは、結婚式だそうです。確かに、日本ほど結婚式のバラエティに富んだ国は無いでしょう。海外へ出かけて教会での結婚式。ホテルの中や結婚式場にもチャペルが在ったりします。本来の宗教とは全く関係なく儀式として行われています。

日本での、結婚式の起源は、


『古事記』、『日本書紀』一書第一などの日本神話における伊邪那岐命(イザナギ)と伊邪那美命(イザナミ)の国生み・神生み神話ではオノゴロ島に天の御柱を建て、イザナギが「私と貴方と、この天之御柱を廻って結婚しましょう。貴方は右から廻り、私は左から廻り逢いましょう」という約束をし、出会ったところで「なんとまあ、かわいい娘だろう。」「ほんとにまあ、いとしい方ですこと」と呼び合って結ばれたという描写があり、結婚式の起源ともいわれる

Wikipedia 「結婚式」より
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E5%A9%9A%E5%BC%8F


だそうです。まさか、日本神話の時代までさかのぼるとは、考えもしませんでした。

海外での教会での結婚。堅信礼のように、いろいろと次々と手続きがあるようです。

Nobiが結婚を決断し、スイスの美しい教会で結婚式、フィアンセに思い出の結婚式をと考えたのですが。。

意外なことの連続で。。。。。。


長年に渡る、多くの血と涙(??)の経験からたどりついた 

Nobiの異文化との失敗しないコミュニケーション


Nobiのスイス日記でもある、Abikoの視たニッポン スイスでの結婚式たいへんそうです。






教会での結婚

私の子供たちが、ローマカトリック教徒であるのは、ヨーロッパに居住しているからとか言う漫然な理由ではなく、ローマカトリック教会で結婚した際の約束事に依っている

日本人の中にも教会で結婚した人もいまでは、数多くいるものとは。思うが、教会で結婚したといっても、教会で結婚式を挙げたと言うことと、カトリック教会で結婚をしたということでは、全く違う意味を持っている

私は従って、「結婚式はどこで挙げましたか?」とか言う、ご挨拶的な質問には、「地元のホテルでやりました」とパーテイー会場を応えることにしている。

教会の話をし始めれば、どうしても避けて通れない話があって、ご挨拶だけでは済まなくなってしまうからである


そもそも私は、宗教に関しては、平均的な日本人と思っている。

正月の除夜の鐘の音を聞き、年が開ければ、地元の神社へ初詣でをしてお祈りをする。彼岸には、故郷にいれば、墓掃除もし、お盆の盆踊りにも鉢巻姿で参加する。

実家に帰れば、仏壇の前に座りお線香を上げ、神棚の前では両手を合わせ、御礼事と御願事を報告している。



ずいぶん昔の話になるが、ローマカトリック教徒である現在の妻と結婚しようと決めたときに、彼女の方はこれと言って熱心な信者でもなく、「役所での婚姻届とパーティーだけで済ましましょう」と提案してきた。

私の方は、教会での結婚を、場所としての教会での結婚式と取り違えているので、あっさりとしたもので、

「いや、僕らが日本にいれば神式なり何なり、それ相応の場所を選択しているはずだし、非日常的空間、つまり、“ハレ”の場で結婚したいと気持ちはある、女性なら、ウエディングドレスも一度は着たいだろう!、だからやっぱり教会で結婚しよう!」と、明確な理由を挙げての提案だったので、それが決まりとなった。

さて決定したのはいいが、いろいろ聞いてみれば、そもそも教会で結婚できるかどうかすら分からないということが分かった。

ローマカトリック教(RK)徒の配偶者がプロテスタント教徒とRKで結婚する場合ですら、その当教会より大きい教会区の牧師または教会区委員会の許可を必要とする。

私の場合、異なった信仰(異端)というよりは、異教徒となり、したってこの場合は、牧師や地元の教区の委員では、決定を下す(霊)力が無く、ビショッフ(司教)職の許可が必要であるというのである。

さらに婚姻前に、何回かの牧師との面会(婚姻セミナー)が義務付けられているとか、結婚前のある期間、公示宣言をしないといけない、等等、どんどん予期せぬことが出てきた

その上、婚姻はRKにおいては、7秘蹟のひとつであるから、聖体礼儀は、どうするだの、秘蹟儀式だから、フュールビッテ(für Bitte: 代願の祈り)は、はずせない などなどなど。。。。


さらに我々の知人でそもそも今案件を御願いした方が、大変優秀で、地元でも尊敬されているにも関わらず、(結婚している事情により)地位的には、牧師ではなく、デイアコーン(Diakon, 助祭)であって全行程を完結できないと言い出してきたのであった、、、


と、此処まで書けば、教会で結婚式を挙げるのと、教会で結婚する違いが自ずと理解してもらえると思う。



私たちの教会での結婚については、別の機会にお話しましょう。

ここでは、なぜ子供たちがRK教徒なのかというと、前述した、牧師との婚姻セミナーで、教会結婚に際し、子息のカトリック教育を義務付けされるのである。

これはひとつの約束事で、カトリック教会の代々に渡る教徒維持、教会維持のためのポリシーとなっている。

さらにこのセミナーでは、牧師が必ず伝えておかなければいけない条項として、結婚した夫婦の“添い寝の義務”があると伝えてくる。

簡単に言えばセックスをしろ、拒んではいけないと言う内容だが、これも夫婦が子孫を増やし、カトリック教の繁栄をポイントとした指示内容と理解しなければ、いけない。


現在、世界的に大きな問題として、RK教会が、先、現法王とも、これだけAIDSが問題になりながらも、避妊用具の使用については、(特に男性避妊用具)その使用を認めていないということがある。


前に良いと思うことは、とことん義務付け、強制しても行わせるべきと書いたが、これが異文化間での出来事となると話はややこしくなる。


キリスト教のミッションの話でも、本当に、心からキリスト教の教えを良いものと信じ、布教活動に生涯をかけた人々もいたはずです。異文化圏での布教については、歴史的には今日、その弊害ばかりが浮き彫りにされることが多いが、むしろ純粋に良いものを分け与えたいと言う意志があったことも忘れてはならないと思う。

法王が避妊用具の使用を認めないことについて、本当に使わない方が良いと思っているのか、それとも、良し悪しの判断からではなく、単に政策として踏襲しているのかを見極められれば、全くローマ教会以外の(他の)社会の理解に乏しい判断と言わざるを得ない。


ことに、異文化の理解については、異文化との接触が必要である

結婚を許されていないRKの牧師や法王にとって、添い寝や性生活に関わる重大決定をさせる事、事態に、旧態依存の限界がある。

はたちになったから「成人として自覚を持って行動せよ」といくら言っても、実際、何らかの努力が注がれること無しに、新しい自覚など生まれてくるはずは無い。

グロバリゼーションが進む今日、気を付けなければいけないことがある。

良し悪しの判断が、多くの場合、ある社会特有の価値観の反映であり、他者にとっての基準とはなりえないことである。

今世界に求められているのは、従って、少なくとも、相互に立場を尊重し、相互に理解して行こうとする姿勢である。

そのためには、知識も経験も必要であり、そうした観点からの社会政策の立案及び教育の現場での後押しが益々重要となってきている。

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[ 2010/02/14 20:32 ] Abikoの視たニッポン | TB(0) | CM(0)
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