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外国語を学ぶということ 

Abikoの視たニッポン 外国語を学ぶということ Vol 2

イギリス  日本  フランス

確かに、マウスに限らず、いろいろな愛称が使われています

他にKitty、Love, Sunshine、Pumpkin, など。愛情を込めた呼び名が、ごく当たり前に使われています。

確かに、日本ではあまり使われていないようですが。受け取られかたが、、国によって大きく違うようです。

将に、カルチャーショックの一つの例です。

安彦氏の視た、外国語を学ぶということは???





 

 





此処で私が言いたいことは、

あたり前のことが当たり前ではないと認識できるためには、

つまり、

常識に疑問を持てるようになるためには、その常識を超えた世界との出会いが必要であるということである。

非常識の世界を体現できて初めて、常識について疑問を投げかえられるようになるのである。

そのためには、非常識の世界、つまり異文化との出会い(MOUSEは鼠ではなくマウスであるということが認識できること)がどうしても必要となる。


実際に異文化と出会うといっても、実際は、時間空間の制約があるから容易なことではなく、費用もかかる。

しかし、

異文化に出会うためには、わざわざ何も遠くへ旅立つ必要はなく、実は、異文化のその言語を勉強すれば、ことが足りるのである。


世界は言葉によって文節され、意義を持たされている。

言葉が違えば世界が違っているのは、サピア=ウォーフの仮説を持ち出さなくても今日においては自明のことと思われる。



 →→  サピア・ウォーフの仮設 (Source: Wikipedia)  )


現在日本の外国語教育の根本的問題は

コミュニケーションの手段としての外国語と、異文化を理解するための手段としての外国語の学習に区別が無く
どちらも中途半端な成果しか得られていないということである。


(入学試験という、採点上都合の良いように、問題が考えられ、そのための勉強が強制される等の件は、此処では論外とする)

コミュニケーションの手段として外国語を教えるためには

文法など、面倒なことは一切省いて、徹底的に、日本語禁止の隔離された状況を設定して、その学ぶべき言葉に集中させるべきである。


しかも楽しくなければ、学ぶ意欲などわいてくるはずは無いから、映画の好きな人は、映画オンリーでも、サッカーーが好きなら、サッカーをしながらでもいい、あくまで学ぶ言語で何か好きなことをしながらおこなうのである。
さらに練習を積み、鑑賞を重ねて、デイスカッションを行う。

つまり実生活をすればいいのである。

相手と意思疎通を図るための外国語の収得は‘語学’とか言う、肩苦しいものではなく、のこぎりのひき方を学ぶ、包丁の使い方を学ぶ‘語実習’のようなものだと言う気持ちで事に当たれば、結果として、うまい下手の差はあるものの、誰もが必要に応じての使用は、できるようになるはずである。



異文化を理解するために外国語を学ぶためには、若干問題は複雑に成る。

しかし基本的には、言語の背景にある世界観を知るために、常に‘何故’と自問していくことである。

例えば:

何故お日様が日本では赤いのか(西洋では太陽は普通黄色い色で塗る)
青信号は渡れ、じゃ、緑信号はどうする?
兄と弟は、全く別の言葉なのに英語では、brotherと基本語に区別がない、
煮る、炊く、沸かす、という違った料理法が英語では、cook一語で表現されるのに、日本語で、‘焼く’という直接火にかざすひとつの行為は、bake, roast, grill, broil などに分けられている、


表現された言葉の背景には実はたくさんの未知の世界が隠されています。

私自身はこの異文化理解のための外国語学習を、
未知世界への旅 と考えている。

従ってそこでは、必ず、思わぬ出会いが待ち受けており、その未知との遭遇による、驚きが、旅の醍醐味となる。

異文化を理解することは、世界が、情報革命を得て、地理的距離を越え、目の先に存在している今日、益々その必要性に迫られている。

さらに、

異文化を理解するということは、実は、他者(異文化)に出会うことによって初めて他者とは違う自己(自己の世界)を認識理解することであり、つまり、異文化理解というものは実は、自己そのものを理解していくことと同義なのである




Wer fremde Sprachen nicht kennt, weiss nichts von seiner eigenen

外国語を知らない者は、自国語について実は何も知らない

ゲーテは1821年に記している.


すでにそれから日本は明治、大正、昭和、平成と時代を経てきている。

この間、どれほどの日本人が異文化に出会い自己を理解する機会に恵まれたのだろうか。

異文化に出会い、自己を理解して、初めて異文化は理解できるものである。

他者を理解するために自己を知る、そのためには、他者との出会いが必要で、今その機会が、外国語を学ぶということによって、あらゆる人に開放されていることを知るべきである。




                                                 Abiko    30.03.2010

 

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