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Japan NO Logik !! Abiko の視たニッポン

Abikoの視たニッポン 海外から視たニッポン

Japan No Logik abikoこのコーナーのライターである

Abiko こと 安彦信弘

(スイス、チューリヒ在住)の著作


Japan No Logik (ジャパン ノー ロジック)

が、好評です。

昨年春に出版されて以来、新聞や雑誌の書評でも高評価を得ています。

現地の新聞では、日本文化の啓蒙書としても、紹介されています。

先日行われた、出版記念講演会では立ち見が出るほどの盛況のうちに開催されました。


また、スイスの教育放送でもあるラジオ番組、Toxic,では、本の朗読とインタビューが放送されました。

特別企画として、AbikoのJapan No Logik についての書評を、本文記事とともに、日本語訳を付けましたので是非ご覧ください。

海外での、本書への評価を通して日本文化への見方を知ることができます。


Abiko、安彦信弘 紹介

http://bit.ly/kUr6xg


Japan No Logik 内容紹介

http://bit.ly/iAabYH





最初に Aargauer Zeitungに掲載された記事です

abiko article az


記事の日本語訳


見知らぬもの、他者を理解する方法


啓蒙書:FUKUSHIMAの現実を受けた世界の将来はどう進んでいくのか、NOBHIRO ABIKOが日本の文化に関して解説している

DAVID HUNZINGER 記



ノアの洪水のような大波が、日本の東北沿岸に打ち寄せ、幾千人にも及ぶ生活と生命を奪い去り、さらに原子力発電所を破壊して、高炉を溶解を引き起こした、、この最中の日本人はといえば、、、、冷静を失うことなく、パニックに陥るどころか、何とか日常生活を取り戻すよう努力していく。

FUKUSHIMAの大災害事件は、西洋に住む人々に、日本の文化に関して、学ぶべき要素があることをあらためて提示している。

FUKUSHIMAの近郊で育ち、現在はBADEN住居を構えるNOBUHIRO ABIKOが日本の文化、社会に関して、「JAPAN NO LOGIK」という題名の著書を上梓し、西洋と東洋の文化の相違を解説をしている。

今回の災害は皮肉にも本書に関して予期せぬ時局性をもたらすこととなった。


モラルの形態


BADENを展望する自宅のテラスのテーブルに座り、日本茶を注いでくれている。

「これは伝統的な夫婦茶のみで、大きいのは男、小さいほうは女用ですよ」

と説明してくれる。

今年54歳の安彦氏は、たいへん親切、礼儀正しく、思考を伴った声で話しをする。

30年前に、現在のスイス人伴侶とOXFORDで出会った様子、半年間のドイツ語学習後にチューリヒ大学で専攻した文化人類学や社会科学理論について、黙々と語ってくれた。

現在はプライベートバンキング業務に専念し、主に、裕福な日本人の資産管理をスイスで行っている。

原発から80Kmh離れた県の首都福島市の近郊の町で生まれ、両親と家族の一部は、今も、当地に住んでいる。

「地震後、三日過ぎても家族と連絡がつかなかった時は、本当に心配になった」と、語る。

幸い両親は無事だったものの、誰もが同じ幸福に授かったとは限らず、それでも、被害者家族はそれもひとつの運命として受け止め、日常生活を回復するべく黙々と努力している。


こうした現実に関する考え方の相違を安彦氏は、別の例を以って、わかりやすく説明してくれる。

「当地ヨーロッパでは、テストで100点中70点を得たとすると、失った30点が問題視され、不満感が残る。
日本では、得点できた70点を評価しながら、努力を重ねていく、西洋では減点法が基本的で常に不満が残る思考形態となっているが、東洋の儒教国では、「知足」の概念を教えられている」


原子爆弾が唯一投下され、さらに今日54基原子力発電所を抱えた国の国民として、日本人はもっと、もっともっと批判的でなければいけないではないかと、われわれは思うものの、「国の出す少ない情報がとりあえず信頼できるものであると、国民は信じているし、お上の権限に追随するように教育されていることに、その原因がある。

社会的にも、・・出る釘は打たれる・・として、批判的なことでも群を離れて行動できない、体質が残っている」

「個は全体の中の部分でしかない」という、哲学的考えが日本文化を貫いて存在している。


それを日本語の言語に例に取り、著者は、すばらしい明快さで、説明していく


ユーロ言語において唯一の、人称名詞である、(私)、(あなた)に対応する言葉が日本語では数多く存在し、相手の性別、年齢、社会的地位によって使い分けられる。

個が個として認識されるのではなく、全体の役割、期待感、人間関係によって決定されるという。

モラルもまた、社会的コードであり、人と人との関係の中でのみ存在する。

伝統的に日本には従って、善悪の観念はなく、また、やましい心(SCHLECHTES GEWISSEN)といった概念も存在せず、同様な状況下では、「うしろめたい、後ろから見られている他人の目が痛く感じる」と表現するという。


安彦氏は話している中で、熱中して自己を忘れてしまうような、子供の好奇心があり、それが彼の目には輝いている。


その彼の好奇心は、最初の英語の授業との出会いから始まる。


13歳だった彼は、次第に英語が単なる翻訳の学習ではなく、その背景には大きな文化背景がることを次第に認識していった。

一貫して、この言葉の背景に潜む文化を語っているのが、このすばらしい著書である。

常に愛情を含んだ表現で、時には可笑しく、時には、はっと驚かせる内容を披露しながら、安彦氏自らが体験してきた他者との出会いが本著の中で語られている。


本著は、我々に、他者と出会うことによって自己をよりよく知りえることを啓蒙している。



Nobuhiro Abiko [JAPAN NO LOGIK] Elfundzehn, Eglisau 2011, 110 P. Fr. 24.50








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[ 2011/06/02 15:04 ] Abikoの視たニッポン | TB(0) | CM(0)
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